大阪地方裁判所 昭和54年(ヨ)1503号 決定
一 (申請人の有する特許権)
申請人が次の特許権を有することは当事者間に争いがない。
特許登録番号 第四四七九三七号
発明の名称 ビタミンEニコチン酸エステルの製法
出願日 昭和三六年七月一五日
出願番号 昭和三六年第二四七五四号
公告日 昭和三九年一一月六日
公告番号 昭和三九年第二四九六八号
登録日 昭和四〇年六月一〇日
特許請求の範囲 ビタミンEにニコチン酸またはその反応性酸誘導体を反応させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法
二 (被申請人らのVEN製造販売)
被申請人らが現に業として別紙目録(一)記載の化学物質(以下VENと略称する)を製造し、被申請人沢井製薬が右VENを含有する製剤品「ケントンNカプセル」を販売拡布していることも当事者間に争いがない。
三 (被申請人らのVENが本件特許方法により生産されていると推定することの当否について―特許法一〇四条適用の可否―)
1 本件特許は物を生産する方法の発明に関するものであること明らかであるところ、その目的物質であるビタミンEニコチン酸エステルが本件特許出願前に日本国内で公然知られたものでないこと、すなわち、新規物質であつたことは申請人の疏明によつて一応これを認めることができる。
2 また、被申請人ら製造にかかるVENが右目的物質と同一の物であることも申請人の疏明によつて一応これを認めることができる。被申請人らは右同一性を争い、その根拠として、本件特許明細書の実施例の記載中に、得られたビタミンEニコチン酸エステルの性質として「<省略>」とあるところ、被申請人らのVENのE値(紫外線吸収スペクトルの吸収強度)はこれと異なり八六・二または八八・〇であるというのである。しかし、申請人の疏明および本件仮処分申請の全趣旨を総合すると、前記本件特許公報中のE値はdl―α―トコフエロールニコチン酸エステルの精製前の値を精製後のものと誤つて記載したものであり、精製後のものでは被申請人らのVENのE値と同程度であることが一応推認されるから、被申請人らの前記主張は失当である。
3 そうすると、被申請人らのVENは本件特許方法によつて生産されているものと推定されうる。
四 (被申請人らが右推定を覆えすためにした自社におけるVEN製造方法の開示について)
1 被申請人らの疏明によると、被申請人らはかねてからVENを製造してきたものであるが、その方法は遅くとも昭和五三年六月頃以降は別紙目録(二)の方法(以下新法という)によつていること、もとより右新法は工業的にも実施可能な方法であることが一応認められる。
申請人は、右新法は被申請人らにおいて机上で案出した方法であるにすぎず、実施不能であり、被申請人らは実際にはこの方法でVENを製造していないと主張し反論しているが、右主張は採用し難い。
かえつて、被申請人らの疏明によると、本件では次のような事実が一応認められる。すなわち、
(一) 本件特許の出願公告後である昭和五〇年一〇月に公刊されたケミストリイ・レターズ(一九七五年一〇号)所収の東京大学ムカイヤマテルアキ他の論文「カルボン酸エステルの合成のための便利な方法」によると、新規なカルボン酸とアルコール(フエノール)とのエステル合成法として一―メチル―二―ハロピリジニウム塩の触媒的作用と塩基性物質(トリ―n―ブチルアミン)の縮合促進剤的作用とを利用する方法が可能であること、および右方法の特徴はカルボン酸を反応性酸誘導体に変えることなく、直接アルコールと等モル反応によつてエステル合成が可能であること、一般に収率が良好であること
(二) 新法は右東大論文記載の方法の化学的類似方法に相当するものである。
(三) 被申請人沢井製薬は昭和五二年一一月七日「トコフエロール・ニコチン酸エステルの製造法」について特許出願しており(特願昭五二―一三三九八九)、これが登録されうるものであるか否かは別として、新法は右特許請求の範囲に該当するものであり、願書添付の実施例1は新法における一―エチル―二クロルピリジニウムエチルサルフエートが一―メチル―二―クロルピリジニウムメチルサルフエートに、トリエチルアミンがこれと一、二―ジクロルエタンとに置換えられているだけのものである。
(四) 被申請人市川化学には新法を工業的に実施するための具体的な製造指示書やこれを受けた具体的なVEN製造記録も存する。
(五) 被申請人らが新法によつて製造したというVENをガスクロマトグラフ質量分析計により定量分析してみると、新法で使用する二―クロルピリジンの未反応分およびこれを使用した場合に副生するN―エチルピリドンが検出された。そして、この結果は、必らずしも被申請人らのVEN製造方法が「新法であり、かつ、他の方法ではない」ことまでを証明するものとはいえないとしても、それが「新法である」ことを示す一つの有力な情況証拠となりうることは否みえないところである。
しかして、これらの事実を彼此総合すると、新法によるVEN製造は工業的に十分可能であり、かつ被申請人らは現に新法を実施していると解するのが相当である。
もつとも、前示製造記録は実際の製造過程でその都度記されたものではなく、その都度記したメモを後日整理したものであること、そのためか右記録には一部に不備な点や前後首尾一貫しない数量の記載がある等不合理な点も存することは申請人主張のとおりである。しかし、このような書証の記載上の個々の部分的欠陥のゆえに、それが全体として何ら事実に基づかず机上で作成された虚偽記入文書であり、したがつて、被申請人らは現在新法を実施していないと論断することは前記疏明事実に照らしても困難である。被申請人らの提出している前記書証は大筋においては実際に行われた結果を記載したものと思われる。
2 そして、右被申請人らの行つている新法は本件特許の技術的範囲に属さないと解される。すなわち、前記当事者間に争いない事実によると、本件特許方法は、出発原料としてニコチン酸を使用する方法(直接法)とニコチン酸の反応性誘導体を使用する方法(間接法)との二つの方法をクレームしていると解される。しかるところ、新法は出発原料としてニコチン酸の反応性誘導体を使用しないから右間接法と異なること明白であり、またニコチン酸を使用する点だけをみると新法は一見直接法であるかのように思われるが、ここに直接法とはカルボン酸とフエノールを直接反応させるか、せいぜい脱水剤を用いて反応させる方法をいうと解されるところ、新法ではその出発原料としてニコチン酸とdl―α―トコフエロールのほか一―エチル―二―クロルピリジニウムエチルサルフエートとトリエチルアミンをも使用し、これら四物質は新法によるVEN生成の反応過程上不可欠のものとなつていると解されるから、結局、新法は直接法でもない。
五 (結論)
そうすると、被申請人らはなんら本件特許権を侵害したとはいえない。
したがつて、本件仮処分申請は被保全権利(本件特許権に基く差止請求権)を欠くものというほかなく、かつ本件は右疏明にかえて保証を立てさせてその申請を認容することは相当でない。
よつて、本件仮処分申請はこれを却下する。
〔編註〕 本件に関する目録は左のとおりである。
目録(一) (被申請人ら製造のVEN)
左記化学構造式で示されるdl―α―トコフエロール、ニコチン酸エステル
<省略>
目録(二) (被申請人ら開示のVEN製造方法)
dl―α―トコフエロール、ニコチン酸、一―エチル―二―クロルピリジニウムエチルサルフエートおよびトリエチルアミンを、過剰量のトリエチルアミンを溶媒として反応させてdl―α―トコフエロールニコチン酸エステルを製造する。